21 岸田陸象(1919~2002)     「翡翠」 



平園賢一(神奈川県平塚市)

21  岸田陸象(1919~2002)     「翡翠」    木彫    木    21×18×10㎝     制作年不詳 

岸田陸象の初期作品は貴重だ。長野農民美術に関心のある方なら少しはご存知の方もおられるだろうか。これらの2作品は中村直人に師事していた頃のいわゆる農民美術時代~院展時代のものだろう。「牛」はいつ見てもいいものだ。また「翡翠」は中村直人の師である吉田白嶺が得意としていたし、直人も彫っている伝統のモチーフである。

22 岸田陸象(1919~2002)     「牛」 



平園賢一(神奈川県平塚市)

22  岸田陸象(1919~2002)     「牛」     木彫    木    30×17×13㎝     制作年不詳 

岸田陸象の初期作品は貴重だ。長野農民美術に関心のある方なら少しはご存知の方もおられるだろうか。これらの2作品は中村直人に師事していた頃のいわゆる農民美術時代~院展時代のものだろう。「牛」はいつ見てもいいものだ。また「翡翠」は中村直人の師である吉田白嶺が得意としていたし、直人も彫っている伝統のモチーフである。 

23 山上嘉吉(1901~1991)  「初夏隅田川」



野口 勉(埼玉県鶴ヶ島市)

23 山上嘉吉(1901~1991)  「初夏隅田川」  油彩  キャンバス  10P  1959年制作
作品「初夏隅田川」は当時の労働者のありのままを隅田川風景として表した。
後方に見える工場地帯が印象的である。
この希少作品は奇跡的に入手した。
作者名が誤記され薄汚れた印象だったので誰も見向きしなかったのだろう。
しかし私は山上嘉吉と確信した。画風、画のサイン、キャンバス裏のサインが間違いなかった。私と出合う運命の作品だった。
作品が制作された1959年時は高度経済成長へ向かう前段期であり庶民の生活は依然として苦しかった。
戦後15年も経過するのにインフラ整備と生活水準の向上はまだまだ途上だったのだ。そんな時代背景をぼんやりと薄茶けた色合いで山上はうまく描いた。

24 悳俊彦(1935~ )  「雪のむさしの」 



野口 勉(埼玉県鶴ヶ島市)
 
24  悳俊彦(1935~ )  「雪のむさしの」  水彩   紙  30.0×40.0cm 制作年不詳 

冬枯れの木々を中心に手前に畑と荒地、後方に屋敷守といわれる防風林がそびえ一軒の農家がひっそりとうづくまり、欅の大木が扇状の梢を空高く突き出している。そしてどんよりとした空を野鳥がすみかに舞い戻っていく様は寒気ただよう武蔵野風景を見事に表現している。
灰・茶色を巧みな濃淡で織りなす技巧は武蔵野風景に対するこの画家独特の心象から生まれたものであり武蔵野風景画第一人者といわれる所以でもある。

25 下郷羊雄(1907~1981) 「ヴィオレ」  



中山真一(名古屋市)
 
25 下郷羊雄(1907~1981) 「ヴィオレ」  油彩   ボード  31.5×40.8cm  1963年制作

下郷羊雄---シュルレアリスムの展開

 下郷は、名古屋市に生まれ、京都で津田青楓に学ぶ。やがてシュルレアリスム絵画にめざめ、名古屋におけるそのリーダー格に。詩人アンドレ・ブルトンとは名古屋からフランス語で文通している。
 下郷の制作は、シュルレアリスム的な生命感のなか、ほとんど純粋抽象のおもむきである。パリの岡本太郎が抽象表現のなかにシュルレアリスム的なものを織りこもうとしたのに似た立場であった。
 さて、本作品《ヴィオレ》(一九六三年作)は戦後にして五六歳の作。小さな画面のなかマチス後期のような清澄感があふれていよう。一九九九年に閉廊されたギャラリーはくぜん(名古屋市)オーナーにして下郷と親交のあった画家・内田浩子先生の旧蔵作品である。
 ギャラリーはくぜんさんは、一九七一年の開廊以来、愛知学芸大一期生らはじめ新進作家の登竜門として名高い画廊であった。内田先生「最後の個展」ということで私どもで初個展(二〇一三年)を開催させていただいた後、思いもよらず記念として本作品をくださったのである。

26 作者不詳(  ~  ) 「前橋汀子像」



中村徹(神奈川県川崎市)

26 作者不詳(  ~  ) 「前橋汀子像」   油彩  キャンバス  23.5×33.0cm   1967年制作      

1枚の絵の物語
~作者不詳「前橋汀子像」~

15年前、いまはなき神保町T美術にこの絵はあった。裏書に、ヴァイオリニスト前橋の略歴がかなり詳細に記されている。前橋汀子23歳とある。どのような人物がこの絵を描いたのであろうか?
子どものころ、若き日の前橋のヴァイオリン・コンサートを聴いている私は、前橋汀子というだけで、絵の巧拙は別に、この絵を求めた。
2008年、前橋が独奏者として出演している演奏会を聴きに行った際、私は事前に手紙を差し上げ、終演後楽屋でこの絵を前橋さんに観ていただいた。
前橋さん自身はこの絵に記憶はないが、前橋の妹の友人の芸大学生が、昭和43年石井幸之助撮影の前橋汀子像(別紙、石井幸之助写真集「戦後の顔」<東京新聞出版局1984年(昭和59年)>所収。この写真集に掲載されている前橋の写真は、裏焼きで左右逆に掲載されている。)をみて、描いた可能性が高い、とのことであった。
その後、前橋さんには、私の勤め先であった(公財)大田区文化振興協会が主催した「前橋汀子ヴァイオリンリサイタル」(2011年12月、大田区民ホール・アプリコ、別紙)に出演いただいている。
それにしても、石井幸之助写真集「戦後の顔」に、各界を代表する顔とともに、若干24歳の前橋が「烈しく、繊細に」と掲載されていることは、戦後におけるヴァイオリニスト前橋の位置を物語っている。その後世界的なヴァイオリニストとなる。2011年春、紫綬褒章を受章されている。
この絵は、前橋の「繊細に」の表現にぎこちなさがあり、秀逸な作品とは言いかねるが、当時の前橋の「烈しく」は十分に伝わってくる。
画には、それを鑑賞する人間の生きてきた歳月や経験がそのまま投影する、ということは、本当である。

27 海老原喜之助(1904 ~1970)  「無題」



堀 良慶(千葉県柏市)

27 海老原喜之助(1904 ~1970)  「無題」   鉛筆素描・水彩   紙   27.0×37.0cm 
1960年頃制作
海老原喜之助の半抽象の素描作品です。六角形、五角形が多く画面に現れています。左側の三角形は「雨の日」の頭上の形に似ています。東京国立近代美術館に海老原喜之助の代表作品「雨の日」は1963年作で、芸術院賞文部大臣賞を受賞作品です。雷曇が頭上に来る恐怖感を上手く描かれている作品です。又1951年制作の「殉教者」という裸の男性が13本の矢で打ち抜かれている像も所蔵されています。私は青春時代に付き合っていた女性に徹底して嫌われ、画の様に十数本の矢を受けたことがあり、見事に作家は私の心を現していると感激したものです。私は海老原喜之助の作品が欲しくなりました。私は少し甘さのあるエビハラ・ブルーの時代よりデッサンの徹底と、造形の簡素化を図って描いた戦後1950~60年代の男性的な動的的で迫力ある作品が好きです。このデッサンは「雨の日」1963、熊本県立美術館蔵の「群馬出動」1961年作の頃の作品ではないかと想像しています。六角形のキッコーマークは、下総国の一の宮である「香取神宮」にあやかったものとされています。軍神として広く知られている香取神宮は「亀甲」を山号とし、「下総国亀甲山香取神宮」を正式の名称としてきました。海老原作品には沖縄の亀甲墓の造形も存在します。

28 小寺健吉(1887~1977) 「武蔵野御嶽にて 夜明けの山々」

 

秋山功(高崎市)

28  小寺健吉(1887~1977) 「武蔵野御嶽にて 夜明けの山々」 油彩  キャンバス  8F
制作年不詳

 「わの会」のコレクション展には、今回が初出品である。出品の期日が迫り、どの作品にしようか、あれこれ迷っていたところに数日前のオークションで落札した作品が届いた。「あ、この作品(作家)の評価を問うのはどうか---」と、その時急に閃いた。小寺健𠮷の作品である。
 小寺健𠮷は二度の渡欧経験はあるが、帰国後は日本の自然美を再認識し、その後は愚直なまでに写生に徹して、油彩で自然の空気や湿度までも表現しようと努力した。実際、その作品にふれていると、観る側を清々しい気分に導いてくれる。
 けれども小寺作品は、そのアカデミックで平明な作風が禍してか、これまであまり高い評価を受けてこなかったように思う。私自身も、気になる画家ではあったが、いつも3番手、4番手の希望で、作品は1点も持っていなかった。先日行われたオークションでも、小寺の作品が4点出品され、発句がエステーメイトの6割程度だったにもかかわらず、どの作品も希望者がおらず、思いあまって私がその中の1点を落としたという次第である。
 時の流れは、芸術品に対して誠に冷酷である。作品が生みだされた時代にはオーラを発していた作品でも、社会の変化で時代の空気が一変すると、そのオーラが消えてしまう。そうやって少しづつ作品が淘汰され、本物のみが後世に伝えられていくのであろう。小寺作品は今、その岐路にあるのではないか。
 改めて小寺健吉の作品を観た時、一見地味ではあるが、堅実で実直なこの画家の姿勢が快く伝わってくる。時代に流されない強さといぶし銀のような輝きを感じるのだ。消えてしまうのは惜しい画家であり、自分自身の生き方とも深く共鳴して、「どっこい、生きている。」という画家であってほしいと、今さらながらに願う気持ちになった。

29 伊藤久三郎(1906~1977) 「無題(ノートより)」



鈴木忠男(東京都江東区)

29  伊藤久三郎(1906~1977) 「無題(ノートより)」  油彩  キャンバス  3F
1969年制作

藝林に行くきっかけは伊藤久三郎遺作展であった、去年の「一点展」(梅野記念絵画館)に続き2点目(油彩画は2点しか持っていない)を出品する、これも藝林以来の展示となる。1987年2回目の遺作展で25万円で購入、画集の作品リストによるとこの前に「ノートより」の題名の作品(同様の絵、色違い)があり、こちらは「無題」となっている、自分では羽根の一部が剥がれているので「イカロスの墜落」と名付けた。
  藝林閉廊後は横浜中華街にある爾麗美術での個展を毎年見に行っている、今年の情報では横須賀美術館第1期所蔵品展で久三郎絵画(初公開もあり)が一室分展示されるとのこと(やっとだ、何年も待っていた展示だ、学芸員に久三郎展をやらないのかと訊いたこともあった)、ぜひとも見に行かなければ。

30 山口長男(1902~1983)  「キリスト像」



鈴木忠男(東京都江東区)

30  山口長男(1902~1983)  「キリスト像」  墨彩   紙   20.9×14.5cm
1950年頃制作

1994年にG川船(日本橋にあった頃)の個展で10万円で購入、雑誌「改造」誌面に墨で描かれたキリスト像(山口貴代鑑定シールあり)、同様の絵(バリエーション)が沢山ありこれを選んだ、磔刑像かと思っていたが、今回出品にあたり参考にG・ルオーの版画を見ると「受難:キリストの復活」の方がこれに似ていた、前者には十字架があり「T」形、後者は「Y」形でこれと同様である、こちらの復活像なのだろうか。またG川船に当時のパンフでもないかと訪ねたが(オーナー不在)無いようだった。ちょうど笹木さんがいたので当時のことを訊くと、大量に長男の作品が市場に出たようで、これはその残りらしい、当時購入した会員もいるのではと思っている。