31 村上肥出夫(1933~  )  「川辺」 



中村儀介(千葉市木更津市)

31  村上肥出夫(1933~  )  「川辺」  パステル  紙  42.0×28.6cm   制作年不詳

村上肥出夫との出会いは、梅野さんからでした。

この作品は、川辺というタイトルで何が描かれているか、よくわかりませんが、最近はこの様なはっきりしない絵に、なぜか魅かれます。ムラのある作家ですが、村上の初期の作品には、特に魅力を感じます。

32 張光隆(1945~ ) 「天寒地熱」



伊藤英一(東京都江戸川区)

32  張光隆(1945~ ) 「天寒地熱」 技法、材料 ; 不明  54.0×80.0cm 1970年制作

 中国文化大革命(1966~1977)時代の絵画です。この絵は1970年に張光隆により描かれました。労働者を描いた作品は文革時代に中国内陸部で描かれ、現代も中国の美術館に展示されています。

33 阿部広司(1910~1992)  「早春の富士--忍野--」



小松富士男(埼玉県久喜市)

33  阿部広司(1910~1992)  「早春の富士--忍野--」 水彩  紙  36.0×56.0cm  
制作年不詳

 忍野八海はすっかり観光地化していましたが、この絵を見るかぎり富士山麓の鄙びた雰囲気が漂っており、春霞に煙る富士に郷愁を覚えます。世界遺産に登録されたことを機に出品しました。

3 4 永田力(1924~ ) 「ロシア人」



小松富士男(埼玉県久喜市)

34 永田力(1924~ ) 「ロシア人」  油彩  キャンバス  22.7×16.0cm  1970年制作     
 堂々とした髭をたくわえた恰腹のいい人物が、なんのけれんみも無く直感的に描かれています。当時、あまり接することが無かった異邦人に興味を持ち、一気に描きあげたのでしよう。おさえた色調が画格を高めています。

35 平賀敬(1936~2000)  「H氏の優雅な生活」



金井徳重(長野県中野市)

35 平賀敬(1936~2000)  「H氏の優雅な生活」  シルクスクリーン・手彩色  紙
33.0×27.0cm  1970年制作

 箱根湯本の平賀敬美術館を訪れたのは5年前、紅葉の始まった頃だった。みやげ店が続く軒下を4,5分歩いて滝通り温泉郷のアーチをくぐると、純和風の古い洒落た木造家屋の「平賀敬美術館」が見えた。
 この建物は箱根湯本の旅館「萬翠楼福住」が明治期に別宅として建てた由緒ある旅館で、犬養毅、近衛文麿など多くの元老や重臣たちが逗留したという。
 玄関で声を掛けると竹下夢二の絵から抜け出たような、なで肩で和服姿のおっとりした雰囲気の女性が現われた。平賀敬(2000年没)亡きあと今、ひとりで住みながら来館者を迎えてくれる夫人の平賀幸(さち)さんである。この作品はその時譲り受けたものです。
 平賀敬は現代の浮世絵師と呼ばれる所以は、日本の伝統的な風物を巧みに織り交ぜ、男女の群像をエロチシズムとユーモアあふれる筆致で描く現代絵画の中でも異彩を放つ作家であった。

36 作者不詳    「老人(帰り道)」




谷吉雄(金沢市)

36  作者不詳    「老人(帰り道)」    水彩    紙    42.0×28.0cm    制作年不詳

厳密には作者不詳の作品です。絵のコレクションの切っ掛けとなった、地元に縁りのある鴨居玲にのめり込んでいた頃に出会いました。サインはもちろん鑑定書もありません。しかし、薄い絵具の下に見える大胆でしかもリズミカルな鉛筆の線と老人の醸し出す雰囲気には、うら淋しいようだが飄々とした態でもあり、おかしみと哀愁がない交ぜになって滲み出ているように見え、自分の近い将来像とも重なり、心惹かれたようです。今もって未練がましく、鴨居の作品であれかしと密かに願っています。ただ残念なことに鴨居玲は“真の絵好き”からはあまり好まれていないようです。

37 靉嘔(1931~ )   「くじゃくの時間B」



伊東總吉(東京都世田谷区)

37  靉嘔(1931~ )   「孔雀(仮題)」   版画    紙  74.0×53.5cm   1977年制作

靉嘔の版画は、虹のカラーを貴重としてどれも明るく元気が良い。
「くじゃく」の連作を「全作品集」から辿ってみたところ、この作品は完成度が高く、自宅の壁に飾るのには最適と考えています。
 作者は、同作について「孔雀は壁より羽ばたいて飛び出さねばならぬ」とその著作で語っておられる。
 画廊のオープニング・パーティなどで同氏をよくお見受けするが、いつも高齢を感じさせぬバイタリティを発散させて周囲に人の輪が絶えない。
 そのおひとりの北陸に住む虹の連作の摺師とお話する機会があった。
 ー もうおひとり専属の摺師がおられて先生のデッサンに色指定番号が書き込まれて送られてくるオーダーを交互に待つのだという ー これからも奇妙な挑戦的な作品を期待していきたい。

 *「虹・靉嘔版画全作品集 増補版 1954~1982」 久保貞二郎編 叢文社
 昭和57年6月20日発行

38 米倉兌(1913~2000) 「祖父と孫」

 

佐々木征(千葉県船橋市)

38 米倉兌(1913~2000) 「祖父と孫」    墨彩  白石和紙   30.5×57.0cm   1978年制作
 
 勤務先の関係で札幌在住であった私は、昭和61年7月頃、休日に中心街まで出かける用事があり、ついでに三越(札幌店)に立ち寄った。その際、画廊では米倉兌墨彩展が開催中で、何気なく画家の略歴を見て驚いたことを記憶している。私の母校の美術科教論をしていたことが目に飛び込んできた。慌てて周りを見渡すと見覚えのある顔の米倉先生がお客と雑談中であった。先客がその場を離れた後、自己紹介したら思い出して貰えたようで懐かしい話に花が咲いた。その場はそのまま別れたが、数年前に福島のアトリエを訪ね、数ある作品の中から  とした雰囲気が気に入り購入したのが、この相馬野馬追シリーズの墨彩画である。
個展図録には米倉先生について、「福島市に生まれ、故郷に根を下ろし、東北を始めとして。日本の風土と人間を飄々としたタッチで描いてきた。談論風発、飾らない人柄と巧まざるユーモアは、絵の中にも脈々と息づいている。」と紹介されている。また、興味深い話として、斉藤清(版画家)によると米倉先生が「神戸で勉強されて居られていた頃、村上華岳先生を背負ってスケッチの御供をされた御話を羨ましい気持ちで御聞きしました----」等々紹介したい話題が他にも山ほどありますがこの辺でペンを置くことにします。

3 9 大沢昌助(1903~1997) 「室内」



鈴木正道(千葉県柏市)

39 大沢昌助(1903~1997) 「室内」   水彩  紙   24.5×35.5cm   1977年制作

 椅子に記された「24.9.77 S.O.」、大沢昌助氏が74歳の誕生日に描いた作品です。
初秋を迎えた昼下がりの室内でしょうか。黄色いワクの中には、グラマラスな女性が横たわっています。
音のない、静謐(せいひつ)な室内です。だが、決して淫靡(いんび)な印象を与えません。そして、女性像があっさりと鉛筆で描かれている点、一層、静かな雰囲気をかもし出しているようです。日頃、「考えも制作も一緒に出来上がる」、また「苦労して描いた絵はだめ」と言っていた画家です。多分、一瞬のひらめきを一気呵成に描いたものでしょう。
私は大沢作品の「明るさ」に魅かれます。多くの芸術家は齢を重ねるに従って、色彩的に渋くなるのが通常です。だが、大沢作品は、日本人好みの幽玄枯淡の心境には程遠い世界です。
この水彩画が描かれた1977年前後、多くの油彩画の大作を残しています。しかし、画家は現状に満足することなく、最晩年にいたるまで絶えず展開と変貌を繰り返していました。

「七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず」。論語の言葉が、ぴったり当てはまる芸術家です。

40 相笠昌義(1939~ ) 「髪を結う由美子-Ⅰ」



鈴木正道(千葉県柏市)

40 相笠昌義(1939~ ) 「髪を結う由美子-Ⅰ」  エッチング   紙(雁皮刷) 
35.5×37.5cm 1985年制作

ある中年婦人がこの作品を見て、こう言った。
「絵かきの奥さんって、美人じゃないとつとまらないわね」。
この横顔美人、相笠昌義氏の令夫人、由美子さんである。長く太い首、ふくよかな耳、やや多めの髪。ところどころ、シミらしきものを意図的につくっているのが、心憎い。
この肖像、ルネッサンス期の画を連想させる。私はさっそく、ピエロ・デル・ポッライウオーロの「貴婦人の肖像」(1470年頃)とデートすべく、渋谷Bunkamuraへ出掛けた。貴婦人と年齢こそちがえ、由美子夫人の美貌に遜色はない。
だが、なぜ、横顔美人はろくろ首の如く、首が長く描かれるのであろうか。この理由をお分かりの方、ぜひご教示願いたい。私なりにその理由を探るべく、街中で、ゆっくりと女性観察をして見たいと思うが。それは止めておきましょう。変質老人と誤解されるのが関の山。
この銅版画を求めて約30年、相笠夫人像も数点になった。