31 篠田桃紅 (1913~) 「Tribute」 



鈴木正道(千葉県柏市)

31 篠田桃紅 (1913~) 「Tribute」 ドローイング 紙
30.5×45.0cm 1986年制作


昨年「103歳になってわかったこと」(幻冬舎)が超ベストセラーになり、篠田桃 紅の名前が一躍有名になった。近年、桃紅作品の高騰が著しい。理由はわからない。
この作品は1986年の制作、彼女は73歳であった。当時、日本人はバブル景気を 謳歌していた時代であった。だが、しがないサラリーマンの私でさえ求めることがで きた値段であった。来客の一人がこの画を見てこう言った。「73歳の作品とのことだが、 エロチックな画だな」。その通りだ。黒い和紙に一気呵成に描いた、交差する大小二本 の白線。朱墨による赤い細い線が、この画の根幹をなす重要な部分と言えよう。
桃紅作品の底流にあるものは「伝統を踏まえたうえでのモダニズムと年齢を超えたエ ロチシズム」である。ただエロチシズムという表現に抵抗を感ずる人は多々いよう。そ うであるとすれば「粋」あるいは「色気」と言ってはどうであろう。色気は生き生きと し生けるものすべてが持っているものであるから。
なお「Tribute」は賛辞というほどの意味か。この抽象画とテーマが、どう結びついて いるのか真剣に考えることは野暮というものだ。

32 浜田知明 (1917~) 「首」



金井徳重(長野県中野市)

32 浜田知明 (1917~) 「首」 銅版画 紙 14.5×14.0cm
1951 年制作


この浜田知明の作品「首」は1951年作と記されている。 浜田知明は、銅版画「初年兵哀歌」シリーズの制作を1951年から54年に制作した。浜田は「発表作品は厳しく選別し年間3~4点に過ぎない」という。高い評価 を得た1954年作「初年兵哀歌(歩哨)」をはじめこのシリーズは15点と言われ ている。この作品「首」に目を向けると、切り落とされた首が十字架に吊るされ、口 元には笑みの表情が見える。鼻は歪み、左目は眼光鋭く見開き、右目は静かに閉じて いる。戦争という暗い不条理なテーマに、ブラックユーモアを交えたこの作品は、シ リーズの中で異彩を放ち存在感がある。

33 古茂田守介 (1918~1960) 「裸婦」



新井博(埼玉県川越市)

33 古茂田守介 (1918~1960) 「裸婦」 油彩 キャンバス
33.4×24.3cm 1957年制作


古茂田と同年生まれで、同じ猪熊弦一郎に師事し親交のあった相原求一朗画伯が昭 和45年、現代画廊の個展で入手し、所蔵されていた作品で奥様から頂戴致しました。
古茂田は相原宅をよく訪れ、お互い切磋琢磨しつつ影響を与えあっていたそうです。 盟友が選んだだけあり、小品ながら落ち着いた存在感のある作品です。

34 國領経郎 (1919~1999) 「O夫人像」



野口勉(埼玉県鶴ヶ島市)

34 國領経郎 (1919~1999) 「O夫人像」 油彩 キャンバス 8F
1948年制作


國領経郎の画歴は大きく3段階に分かれる。
<初期:1937~1953>西洋的感性との闘い。<点描:1954~1971> 画業の行き詰まり、器用さの矯正として時間のかかる点描を試みた。<砂丘:197 2~1998>痩せゆく砂丘に悲観を禁じえず、これを当時の学園紛争で見た若者ら の孤独感・孤立感と重ね合わせ、無言で佇立する若者の群像で表現した。(1999 横浜美術館・國領経郎展図録から)

O夫人像は数ある図録に作品名の掲載はあるものの、作品写真はどれも掲載されて いない。おそらく当初よりモデル自身が所蔵し、非公開だったためではないだろうか。 時は流れ、モデルの遺族が所蔵していたものを手放し、偶然にも私が市場で発見し た。ブルー色を強調し西洋的感性へ果敢に挑んだ初期の希少作品、資料的価値の高い
ものと思う。

作品を顕彰するうちに後掲のモデルを同じくするデッサン画を発見、その作品に添 付されていた書簡からO夫人の実在もわかった。
(國領が新潟県柏崎市在住の1940年代後半、O夫人は、國領から絵画の指導を受 けていたようだ。作品のO夫人の右手には絵筆がある。)

35 國領経郎 (1919~1999) 「婦人像」



野口勉(埼玉県鶴ヶ島市)

35 國領経郎 (1919~1999) 「婦人像」 デッサン 紙 5F
制作年不詳 書簡付き


1997年、朝日新聞社主催の國領経郎デッサン展の出品作と思われる。 添付の手紙には「婦人像」デッサン、奥様がモデルです。記念にお送り致しますので、お納めいた だければ幸いです。と國領の自筆で書かれている。デッサン展は平成9年秋に銀座松 屋で開催された。盛会裡に終了したとの礼状も添えられている。

モデルはA大学のO名誉教授の夫人、1940年代から家族ぐるみの親交があった。 先の油彩画「O夫人像」のモデルを裏付ける希少なデッサン画である。

36 駒井哲郎 (1920~1976) 「消えかかる夢」




福田豊万(千葉県市川市)

36 駒井哲郎 (1920~1976) 「消えかかる夢」 銅版画 紙
12.5×15.5cm 1951年制作

「夢こそ現実であれば良い」 私が駒井哲郎という銅版画家を知ったのは、もう35年程も前に自由ヶ丘にあった
画廊にアイ・オーのシルクスクリーン版画を求めに行った時でした。その時、都美術館で開かれていた回顧展の招待券を頂き見に行ったのです。そして、私は銅版画の詩 人と形容される彼の作品群に魅了されたのです。私には難解な作品もあるのですが、 若い頃の叙情豊かで詩的な独自の世界には強くひかれました。その代表作が戦後初め て日本人が海外に進出した第1回サンパウロビエンナーレ1951年で、斉藤清とと もに在聖日本人賞を受賞した「束の間の幻影」です。これは第2回ルガノ国際版画ビ エンナーレでも国際次賞を受け、駒井は彗星の如く戦後の画壇に表れるのです。
上掲の作品は1950年から始まる夢のシリーズの内の1点で、1974年に出版 された銅版画集に他の1点「流れ」とともに添付された「消えかかる夢」です。
「束の間の幻影」もこのシリーズの1点です。制作された1951年にはエディショ ンは数部で正式には発表されなかった様です。この作品は消えかかる夢を象徴するか の様な魚が光りを発しながら、その棲み家でもあるのか深い海底の家へ帰るところを、 魚のダブルイメージの中で詩情豊かに表現されています。
1954年フランスに留学した駒井は、師と仰ぐ長谷川潔の薦めで国立美術学校(ビュラン専攻教室)ローベル・カミュ教授に学びます。西欧の重厚で強固な版画の 伝統に自信を無くし帰国しますが、それも成長のための一段階として新しい表現を展 開してゆくのです。以降、日本の銅版画界の指導者として後進を育て、現在の銅版画 作家で師を辿ってゆけば駒井に行き着く者は過半数を越えるであろう。早すぎる死の 前年、フランスに長谷川潔を二度に渡り訪ねる。二人の絆の強さが偲ばれるのです。

消えかかる夢の棲み家は海の底 まんぷく

37 田中岑 (1921~2014) 「洲之内徹の顔」



小山美枝(東京都西多摩郡)

37 田中岑 (1921~2014) 「洲之内徹の顔」 鉛筆 紙
28.5×12.0cm 1979年制作


みなさん、この方をご存知でしょうか。お会いしたこと、ありますか。 そういう方がいたらうらやましいです。きっと私が出会っていたら、緊張してお話しするなんてできなかったでしょう。

私が洲之内徹氏の「気まぐれ美術館」シリーズに出会ったのは20年ぐらい前か、 大川栄二氏が大川美術館の会報で松本竣介に関する洲之内氏の発言に怒りを隠さなか ったこと。そこで洲之内徹って何者なんだろうと。「絵の中の散歩」を購入したのが 始まりである。1冊読んで、すぐに残りの5冊を書店に買いに走ったのを覚えている。
文章に惚れてしまった、というのは過言ではないと思っている。 田中岑については現代画廊の常連だったようであるが、私は日本経済新聞で春の花(モクレンだったと思う)のスケッチに目を奪われたことがあって、いつかはうちに と思っていた画家である。
昨年、現代画廊の常連だったG氏のコレクション展の壁にかかっていた。売り物だ った。「人魚を見た人 気まぐれ美術館」の表紙のカバーを取ると出てくる絵の原画 である。私の手に届く! G氏に「私が持ってていいんでしょうか」と興奮して何回 か繰り返して尋ねた末に入手した作品だ。
毎日、この眼に見つめられて生活していると、故梅野氏や故大川氏に私が感じたも のと同様、絵だけではないさまざまなものを正確にみる眼を私も持ちたいと思うのだ。

38 五百住乙人 (1925~) 「子供」

 

新井博(埼玉県川越市)

38 五百住乙人 (1925~) 「子供」 油彩 キャンバス
18.0×14.0cm 1966年制作


いくつになっても娘は可愛い存在。 そんな娘の幼少期を思いださせてくれる作品。 他人には渡さない・・・ 何としてでもとの一念で入手しました。

39 大島哲以 (1926~1999) 「天使のロンド」



平園賢一(神奈川県平塚市)

39 大島哲以 (1926~1999) 「天使のロンド」 アクリル混合 ボード
10F 1970年制作


長女が哲以ファンであり、大学の課題レポートにも書いているくらいだ。 今までに2点プレゼントした。哲以作品の優品が市場に出ることは少ないが、その少ないチャンスでゲットすることが楽しみでもある。コアな哲以ファンは確実に存在 するので、このような代表作を入手できることは幸運であった。しかしながら彼の絵 画哲学と色は魅力的だ。
哲以ブルー、哲以グリーン、哲以レッド・・・

40 大島哲以 (1926~1999) 「男のバラ」



平園賢一(神奈川県平塚市)

40 大島哲以 (1926~1999) 「男のバラ」 アクリル混合 ボード
10M 1980年制作


大島は从会の創立メンバーであり、日本幻想絵画の先駆けとして多くの知識人や数 奇者に絶賛された鬼才である。この作品の男は哲以であるに違いない。
男のバラとはいったい、どんな意味なのだろうか。ちょっと興味深い題名である。