1 レンブラント(1606~1669) 「猫のいる聖母子」 



福井 豊(東京都荒川区)

1 レンブラント(1606~1669) 「猫のいる聖母子」  エッチング 紙  9.5×14.5cm 
1654年原版制作

清貧だが愛に満ちた暮らしの聖家族である。窓の外には室内に顔を向けた沈鬱な表情のヨセフがいる。母子には光輪がかかり神格化されているがヨセフは父親でありながら隔絶されて当然に格外に置かれている。しかし吾が子を抱くマリアの足元には一匹の蛇が這って幼な子キリストの将来の受難を暗示する。空いた椅子の傍の飼猫がその蛇に警戒の姿勢をとっている。48歳の画家とヘンドリッキェの間にはこの制作年に娘コルネリアが生まれるが多額の借財による経済的破綻も始動する。ヨセフの表情にそれを重ねて見ることもできよう。1658年には版画の原版79点が競売にかけられる。画家は生涯に約300点の版画を制作するが1660年以降は数点であった。老齢による視力の衰えのためという。レンブラントの版画は後刷りや時代を経た復刻があり、真作扱いの希少な17世紀の刷りも生前と没後の原版の微妙な加筆や消去、補修があってステート照合特定の専門的鑑定が必要である。この版画は上述1658年に競売された原版の1点だが、インクと紙から18~9世紀パリの版画商バサン父子の後刷りか、以降20世紀初頭まである若い後刷りの1枚と見ている。


2 クロード・ロラン(1600~1682)原画 「聖ウルスラの船出」



福井 豊(東京都荒川区)

2 クロード・ロラン(1600~1682)原画 「聖ウルスラの船出」 エッチング・メゾチント 紙 
18.5×26.0cm リチャード・アーロム(1743~1822)彫版 1777年原版制作

4世紀ブリタニアにあったキリスト教国の王女ウルスラが11人の乙女を引連れローマでの巡礼を終えて船出するところを描いている。その帰路の地ケルンでフン族の襲撃に遭って一行は殉教するが、後世にケルンの守護聖人として祀られるという伝説。英国貴族が所有していた風景画家クロード・ロラン手控えの素描を彫版師リチャード・アーロムが版画化し、1780年頃に版元ジョン・ボイデルから出版された版画集「真理の書」(Liber Veritatis)2巻200葉、推定100部刷りの1枚である。フランス生まれだが少年期よりローマに滞在した画家の関心はテーマの伝説や歴史より光に溶け込むような風景の方にあったようだ。この版画も帆船が朝陽に向かって出港していく予感がある。画家は後の印象派の画家たちに影響を与えたというが、それ以前に19世紀英国の風景画家たちに影響を与えた。J.M.W.ターナー(1775~1851)はこの「真理の書」に触発されて自身の代表的版画集「研鑽の書」(Liber Studiorum)を制作したという。またジョン・コンスタブル(1776~1837)も「世界が今まで目にした最も完璧な風景画家である」とクロード・ロランを評したという。

 

3 作者不詳(伝葛飾北斎1760~1849)  「軍鶏図」



寺嶋哲生(千葉県柏市)

3 作者不詳(伝葛飾北斎1760~1849)  「軍鶏図」   紙本着色   46.8×29.2cm  制作年不詳

 本図は、元々十点余りの作品群から構成された画帖の中の一点であった。
 画帖のいずれの図にも落款は無く作者は不詳であるが、画風から葛飾北斎の影響下にある人物の手によるものと見做される。
 北斎筆の軍鶏図としては雌雄二羽の番を描くMOA美術館所蔵作品が知られているが、本図の軍鶏はMOA所蔵作品の雌雄とほぼ同様の構図で描かれている。
MOA所蔵作品は「前北斎為一筆」との落款があることから、作画期は文政頃(1820年頃)と推定され、従って本図の作画期も文政期以降と考えられる。
北斎真筆に比し、本図の軍鶏の左右の足は不自然に大きさを異にし、稚拙なデッサン力が見てとれる。
故に、北斎門の高弟による作とは思われず、あるいは絵師を生業としない人物の手による習作とも思われる。

4 田能村直入(1814~1907)「高士尋禅院ノ図」



橋本昌也(京都市)

4 田能村直入(1814~1907)「高士尋禅院ノ図」  南画 水墨 淡彩 絹本  39.0×29.0cm 
1889 年制作
         
この軸は、明治22年に書かれた小品の淡彩画で、直入の淡彩画の中では細かく画かれている方です。

賛  翁尋禅院入山林
 柿書人有僧
   石道〇〇〇霊紫
   晩鐘響霞白雲深
     明治己丑春日寫併題

5 浅井忠(1856~1907)  「さくら」



松尾陽作(千葉県我孫子市)

5 浅井忠(1856~1907)  「さくら」  水彩画  紙  13.7×23.4cm  1905年頃制作

 浅井が、京都の聖護院に塾を開いた頃の作品か。画集にある「加茂川風景」(1905年頃=明治38年制作)によく似た色づかい。この絵の元所有者は、慧眼と、独自の見識を備えておられて名高い某氏(故人)、その後、未亡人へのこの作品、更に縁あって、近年、私の許へ。
 かく申す私、己の分際もわきまえず「日本の水彩画」のコレクター(勿論、最末席の)を任じている当方といたしましてはこの作品を入手出来たこと、大変幸せ!

6 岡村政子(1858~1936)  「若い西洋婦人」



松尾陽作(千葉県我孫子市)

6 岡村政子(1858~1936)  「若い西洋婦人」  水彩画  紙  34.5×15.5cm 制作年不詳

 この画家の名前をご存知の方がいらっしゃったら、余程の勉強家か、正常な「教養の高い美術好き」の域を通り越していらっしゃる方!
 岡村政子は安政5(1858)年生れ、明治9(1876)年、第1回工部美術学校入学、(その後、中退)また、ニコライ神学校にも学んでいるので、「山下りん」のような聖像画家かというと、そのようなことは無さそうである。
 現在、残っている作品は非常に少ないといわれており、その点、本作品は大変貴重と思われる。
 それにしても、皆さんご覧になって、仲々の腕前と思いませんか!

7 石川寅治(1875~1964)  「琉球の市場」



安和朝忠(沖縄県浦添市)

7 石川寅治(1875~1964)  「琉球の市場」  木版画  紙  48.0×56.0cm 
1921年制作

 この版画は古い時代の沖縄の市場風景である。石川寅治は明治45年1月、吉田博、中川八郎とともに写生旅行で沖縄を訪れている。この「琉球の市場」はその時の写生を基にして大正10年頃に版画化したものである。版画には山岸主計・刀、漆原栄次郎・摺とあり今日とは違って分業で制作した証が伺える。沖縄県立博物館・美術館にも同様の作品が収蔵されており、戦災で全てを灰塵に帰した沖縄には貴重な一点である。

8 藤島武二(1867~1943)  「琉球の踊り子」

 

安和朝忠(沖縄県浦添市)

8 藤島武二(1867~1943)  「琉球の踊り子」  版画  紙 55.0×47.0cm 
1943年制作

 この版画は昭和11年5月に東京代々木の日本青年館で開かれた琉球古典芸能大会に民族学者折口信夫に招かれた舞踊家玉城盛重率いる舞踊団の筆頭踊り子「名護愛子」をモデルに、藤島武二が描いた水彩画を版画にしたものである。制作(昭和18年)から70年の歳月が経過しているが、鮮やかな色彩と琉球舞踊のコスチュームが沖縄文化の香りを漂わせている。

9 富田温一郎(1887~1954)  「無題」



橋本昌也(京都市)

9 富田温一郎(1887~1954)  「無題」  水彩画  紙  35.0×45.0cm  制作年不詳

この水彩画は、20年ほど前に屋根裏より出てきたもので、祖父が入手したものでありますが、その経緯は全く分かりません。
水彩画の小品で、額が前衛的なものなので晩年の作品を、昭和40年代に表装したのではないかと考えられます。

10 下郷羊雄(1907~1981)  「みみずく」



平園賢一(神奈川県平塚市)

10 下郷羊雄(1907~1981)  「みみずく」   油彩  板   4号   1935年制作
1930年代の下郷のシュール作品は本当に幻であり、数点が知られているに過ぎない。しかしその存在感は大きい。下郷は、前衛美術集団「名古屋アバンギャルド」を結成し、名古屋におけるシュールレアリスム運動の中心となり、彼のアトリエはシュールレアリストのサロンとなった。その後、下郷は写真にも注目し写真集団「ナゴヤ・フォトアバンギャルド」を結成し、伝説的な写真集「メセム属」を発表した。1941年に反体制傾向をもつ芸術家を狙った弾圧がはじまり、下郷をはじめ日本のシュールレアリスムは終焉に向かった。この作品は彼の全盛期の作品である。シュールの作風ではないが、人を食ったようなみみづくはシュールの精神で貫かれ、彼の自画像としての解釈も成り立つだろう。「日本シュールレアリムス14」山田諭編(本の友社)に詳しい。