31 悳 俊彦(1935~ ) 「武蔵野」
野口 勉(埼玉県鶴ヶ島市)
31 悳 俊彦(1935~ ) 「武蔵野」 リトグラフ 紙 P10 1970年頃制作
透明感のある色彩で失われつつある武蔵野の情景を一貫して描き続けている。
油彩画が主である作者だがこの作品は珍しい版画である。
手前に田畑、奥に茶畑、そして屋敷林と欅、武蔵野台地で幼少期を過ごされた方なら良き時代の原風景をすぐさま思い起こすことでしょう。
「こんなことは考えたくないが、たとえ武蔵野が滅びる運命にあっても私に自然の美しさを教えてくれ画家の道へと導いてくれた武蔵野の臨終に立ち会うのは私の勤めであろうと思っている。」(作者の手記から)
武蔵野風景を一貫して描いている作家は悳俊彦ただひとりといっても過言ではない。
30~100号大の油彩・武蔵野風景画には誰もが魅了されてしまう。ここに掲載できないのは残念だがあらためて別な機会に紹介させていただきたい。
32 堀尾貞治(1939~ ) 「カイダン」
三浦徹(神戸市)
32 堀尾貞治(1939~ ) 「カイダン」 版画(モノタイプ)、不透明水彩、和紙
52.0×27.0cm 1991年制作
今回の2点は、半透明水彩を使用してガラス板の上に図柄を描き、その上から和紙を押し彩色や図柄を重ね取るといった行為を7色であるので7回くり返し、図柄を押し写し取ったモノタイプ版画(堀尾は反画と称しているが)である。一連のこのシリーズの作品を2005年に鑑で、色彩の美しさ、モチーフのモダーンさ、構図の斬新さ、重ね写された色彩の面白さに魅了されて入手した。その時、この作家はきっと国際的に注目されるに違いないという確信を抱いたが、その通りになった。現在(いま)では、その評価は世界の「FUTURE GREATS」の一人として認知されている。そして、あちこちの美術館から招聘もされている。例えば、近々では、ニューヨークのグッケンハイム美術館で開催されたgutai splendid playground展に招かれ、「こいのぼり」を用いた日本らしいパフォーマンスを披露してきた。まさに日本の誇りである。なお、堀尾は具体の吉原治良の「人のまねをするな」「これまでなかったものを創れ」と云うコンセプトのもとに「おもろい」(関西弁)作品創りに精力を注ぎ込んでいる私の愛してやまない作家でもあり、その作品である。
33 堀尾貞治(1939~ ) 「ナナメウエカラノフタツノ長方形」
三浦徹(神戸市)
33 堀尾貞治(1939~ ) 「ナナメウエカラノフタツノ長方形」 版画(モノタイプ)、
不透明水彩、和紙 52.0×27.0cm 1991年制作
今回の2点は、半透明水彩を使用してガラス板の上に図柄を描き、その上から和紙を押し彩色や図柄を重ね取るといった行為を7色であるので7回くり返し、図柄を押し写し取ったモノタイプ版画(堀尾は反画と称しているが)である。一連のこのシリーズの作品を2005年に鑑で、色彩の美しさ、モチーフのモダーンさ、構図の斬新さ、重ね写された色彩の面白さに魅了されて入手した。その時、この作家はきっと国際的に注目されるに違いないという確信を抱いたが、その通りになった。現在(いま)では、その評価は世界の「FUTURE GREATS」の一人として認知されている。そして、あちこちの美術館から招聘もされている。例えば、近々では、ニューヨークのグッケンハイム美術館で開催されたgutai splendid playground展に招かれ、「こいのぼり」を用いた日本らしいパフォーマンスを披露してきた。まさに日本の誇りである。なお、堀尾は具体の吉原治良の「人のまねをするな」「これまでなかったものを創れ」と云うコンセプトのもとに「おもろい」(関西弁)作品創りに精力を注ぎ込んでいる私の愛してやまない作家でもあり、その作品である。
3 4 相笠昌義(1939~ ) 「紙芝居図」
太田貞雄(東京都八王子市)
34 相笠昌義(1939~ ) 「紙芝居図」 エッチング 紙(雁皮紙) 24.5×34.3cm
1993年制作
紙芝居のこの風景は、もはや見ることは出来ず、遠い昔の記憶にしかすぎなくなってしまっているようである。
もしあなたがこの絵のどこかに映っていると感じているとしたら、その人は昭和の戦後を過ごした人間かも。
私の記憶では、紙芝居の前で見られるのはお菓子を買った子供で、お菓子を買わない子供は後ろの方で見ているという時代であった。紙芝居が終わった後は、買ったものも買わないものも皆でいろいろの遊びをしたものであり、家でゲームに興じる今の子供と比較して、昭和は子供の社会でも貧しいながらも社会性があった時代とも思ったものである。
ずんぐりむっくりしたエプロン姿のお母さんやまんまるな顔の子供達、滑り台の上から紙芝居を覗いている子供に思わず微笑んでしまう絵であり、懐かしさもあり一枚買ってしまった次第である。
35 相笠昌義(1939~ ) 「ゴリラをみる人」
鈴木正道(千葉県柏市)
35 相笠昌義(1939~ ) 「ゴリラをみる人」 エッチング 紙(雁皮紙) 28.0×43.0cm
1991年制作
性質温和にして菜食主義者のゴリラ、超然として一点を凝視する眼。彼は哲学者か、それとも宗教家か。栄養とかスタミナとか口実をつけて、何ら罪の意識もなく、四つ足を食う人間を戒めているようだ。元気な頃のブルブルの雄姿である。「みる人」の存在が余りにも小さい。
相笠氏の画はすべて人間喜劇、こう言ってもよいであろう。駄々をこねる子、いまにも泣きそうな子、多分、孫連れの老人が、子供そっちのけでゴリラ観察に夢中になっている。
はじめ画家が檻の前に立つと、強い拒絶反応を示したゴリラ。度重なる訪問に熱意を感じ取ったのだろうか、ついには歓迎の意を示すようになったとか。
江戸時代後期、森狙仙といえば猿、昭和平成のいま、相笠昌義といえばゴリラ。相笠氏は、ゴリラ語がわかる、唯一の日本人かも知れない。
画家はスペイン滞在時、バルセロナ動物園で、白ゴリラを描いた。「追悼・白ゴリラとブルブル」(2009年)という油彩の大作まである。
36 柄澤齊(1950~ ) 「肖像XXVラファエルロ・サンツィオ」
鈴木忠男(東京都江東区)
36 柄澤齊(1950~ ) 「肖像XXVラファエルロ・サンツィオ」 木口木版画 紙(雁皮紙) 15.4×18.0cm
1985年制作
ある版画展覧会で見た柄澤の肖像シリーズは衝撃であった、以来シロタ画廊に通い版画コレクターとなったのが84年である。それは普通の板目版画ではなく木口版画で精密な表現が出来る木版画で、後に柄澤自身も日和崎の作品を見て衝撃を受けたことを知る。今年はルネサンス3大巨匠展が順次開催され、始めの「ラファエロ展」で自画像が知れ渡るだろうから、数ある肖像からこれを選んだ。顔の向きが逆である(「アテネの学堂」に描かれた自画像とは同じ向き)、 銜えている百合は「聖母マリア」の象徴で「聖母子の画家」に相応しい。
37 白石潔(1952~ ) 「燃」
鈴木忠男(東京都江東区)
37 白石潔(1952~ ) 「燃」 油彩 板にキャンバス SM 2012年制作
第6回コレクション展には初個展で購入した作品を出品した、今回は去年購入した3点目の作品、今年の個展には行かなかった。靄のかかった森林風景の空気感を描く絵は風景画ではなく心象画だ。緑、赤、紫色へと変化する繊細な筆致を写真に撮るのは困難だろう。照明(光)の当て方により今まで見えなかった部分が見えたりする微妙な絵画なので、よく眼を凝らして鑑賞して欲しい。
38 内藤瑤子(1985~ ) 「ピアノ」「さぶろう」
山根康壮(千葉県柏市)
38 内藤瑤子(1985~ ) 「ピアノ」 木版画・油性インク 紙 16×11cm 2003年制作
内藤瑤子(1985~ )「さぶろう」 木版画・油性インク 紙 11×16cm 2003年制作
2003年2月逗子の加藤公和さんから封筒が届いた。「いつもありがとうございます。できましたら内藤瑤子展行ってやって下さい。すごくよろこぶと思います」その案内状の絵が素晴らしく実物が見たくなりましたが、会期まで十日以上あったので待ち遠しく、わくわくしていました。その後コレクターもどきになってしまいました。
39 内藤瑤子(1985~ )「飛ぼうとするトリ」
山根康壮(千葉県柏市)
39 内藤瑤子(1985~ )「飛ぼうとするトリ」 木版画・油性インク 紙 11×16cm
2003年制作
内藤瑤子(1985~ ) 「コバト」 木版画・油性インク 紙 16×11cm
2003年制作
40 庄漫(1972~ ) 「楼蘭の少女」
堀良慶(千葉県柏市)
40 庄漫(1972~ ) 「楼蘭の少女」 メゾチント 紙 42.0×22.5cm 2008年制作
この少女に一目惚れです。深く感動するものは人生を深くする。何年か前、私は銀座の画廊でアイオーと野田哲也の二人展のオープニングに出席しておりました。渡辺葵さんやアイオーと雑談していた時、メゾチントの鹿取武司さんから庄漫さんを紹介されていました。文化女子大で教鞭をとられていた鹿取武司に庄漫は師事していたのです。すっかりそのことを忘れていました。その後、笹木繁男さんが月刊美術の取材に“しっかりしたメゾチント技術を持った作家で作品に心象がある”として庄漫を紹介されていたのを伺って一気に興味を持ちました。その後、庄漫展があり、作家と出会いこの作品をゲットしました。モチーフは花や風景が多く、人によっては売り絵を描く作家と評価される方が見えますがメゾチントの技術はこの分野のトップの域に達し、私も絵に心象を感じた次第です。今後が楽しみな作家です。現在、中国の人物、風景を中心に7点を所蔵しています。
庄漫の言葉です。「無彩色の画面に流れている暖かな光と、何より素朴な懐かしさを感じました。私は自然の中にある繊細で芯の強い小さな生命力を、自分の感性で力強く詠いたい。短くも懸命に咲く花の最も輝いている美しい瞬間を、このメゾチント版画に描き止めたい―。」