41 二見彰一(1932~ ) 「青い夜のモニュメント」
堀良慶(千葉県柏市)
41 二見彰一(1932~ ) 「青い夜のモニュメント」 アクアチント 紙 31.8×19.8cm
1977年制作
「わの会」鈴木正道さんのご親族から二見彰一の作品14点を柏わたくし美術館に寄贈いただきました。いただい時、直感的に良い作品、良い作家だと思いました。私は作品を見て言葉が出てこない時は、しばらくの間、毎日眺められる場所に展示して見続けます。ある日、言葉が突然出て来くるのです。この「青い夜のモニュメント」も1年以上眺めております。静かな深い青色の中に細長い△形のモニュメントがにょきにょきと立っています。ゆらめきがあり海の中の構造物(モニュメント)のようにも見えます。私のイメージはイタリーのアルベロベッロ、青の洞窟、香月泰男のシベリアシリーズの洞窟から見た月です。一つのモチーフを画面に入れると次から次への画面が展開されてゆく気持ちよさを感じます。静かな感動が心地よい。二見作品に共通した静けさと音楽を感じます。
ブタペストのレストランで私はこの作品を突然思い出しジプシー(ロマ)の楽団に「ツィゴイネルワイゼン」をリクエストしました。ジプシー(ロマ)の旋律は私を深い地底まで誘い込みました。涙が出るような音色に深く感動し酔いしれていました。私はハンガリーが好きになっていました。感激した私は「美しき青きドナウ」もリクエストしたのです。チップは2ユーロ/曲。
絵は生命の燃焼である!音楽は生命の燃焼である!
私は何時しか、二見彰一のコレクターに成れれば良いと思うようになっています。以下は元自由が丘画廊主実川暢宏さんの言葉です。“鈴木正道さんのお兄さんはとても良い眼をされたコレクターでした”
42 フジ子・ヘミング(1932~ ) 「ノーベ」
田部井仁市(埼玉県加須市)
42 フジ子・ヘミング(1932~ ) 「ノーベ」 木版画 紙 22.2×27.2cm
2005年制作
43 小林孝至(1984~ ) 「スワン」
44 強瀬浄眞(1963~ ) 「海に投げられた石(18章)」
伊とうはるこ(千葉県柏市)
44 強瀬浄眞(1963~ ) 「海に投げられた石(18章)」 油彩・テンペラ混合技法
ボード 8F 2011年制作
強瀬さんとは、20年位前、古典技法の教室で一緒に描いていた仲間である。
彼女は、2000年頃から、銀座ガレリア グラフィカ ビスにて、「聖母子像」の連作を経て、聖書の
中でも最も難解といわれる「ヨハネ黙示録」を題材とした作品を発表している。
彼女は、クリスチャンではないが、象徴言語を多用しているこの「ヨハネ黙示録」の謎を解こうと、国内外を旅し、書籍、画集、講演会等で研究にいそしみ、また、彼女自身が所有する素晴らしい幻想能力を加味して、とうとう「ヨハネ黙示録」22章の絵画化を果たした。
彼女のミニチュアを含む大小の作品をコレクションしているが、独自のコミカルな表現と洗練されたドラマチックな世界は、日々発見があり引きずり込まれてしまう。
45 伊とうはるこ(1944~ ) 「崇高なる愛」
伊とうはるこ(千葉県柏市)
45 伊とうはるこ(1944~ ) 「崇高なる愛」 油彩 ボード 14.0×18.0cm 2008年制作
昔、衝撃を受けたビリーニ描くヨハネの表情を、イエス化してみました。
46 川崎光草子(1944~ ) 「夜の海(二人)」
川崎光草子(東京都杉並区)
46 川崎光草子(1944~ ) 「夜の海(二人)」 油彩 キャンバス 8P 2011年制作
短い日々でしたが、ポルトガルに居た時、借りていた家が海のそばにありました。朝も昼も夜も、海はいろいろな表情を見せてくれて、いつも胸を膨らませてくれました。1日に1度は海を眺めに行かないと淋しくなり、気持ちが落着かなかったことを懐かしく想い出します。
47 川崎光草子(1944~ ) 「夕 星」
川崎光草子(東京都杉並区)
47 川崎光草子(1944~ ) 「夕 星」 油彩 キャンバス 4F 2010年制作
この絵を描いて、そのまま部屋のすみにたて掛けて置きましたら、母が気がつき、「あれは私よね」と言い出しました。三年位前のことです。特に意識して母の姿を描いたつもりはなかったのですが、何か母の心に、記憶につながるものがあったのかしら、と嬉しくなりました。以来、わけもわからず、私はこの絵を大事にするようになりました。
48 西村宣造(1943~2012) 「ARLEQUIN」
福田豊万(千葉県市川市)
48 西村宣造(1943~2012) 「ARLEQUIN」シリーズNO3”手” ドライポイント 紙
23.0×18.0cm 2007年制作
聡き目をした人多き本郷の画廊に掛かりし女道化師(まんぷく)
私が西村宣造という版画家の作品を知ったのはもうずいぶんと古く、30年以上も昔の事だったと思います。私は、その頃はほとんど絵を買うことなど無かったのですが、版画ブームの影響もあってか、女アルルカンや猫を描いたエッチングは版画を扱う画廊では時々みかけました。そして、それらの作品はなぜか私の心の片隅に、決して強い印象ではないのですが棲みついていたのでした。その西村宣造という作家と初めて会ったのは、今から3年程前の本郷にある愚怜という画廊での個展会場でした。今回の出品作は、その時に展示された「アルルカン」シリーズの内の一点で、以前の作品では私にはあまり感じられなかった、人が生きてゆく事へのさまざまな想いが、銅版画(ドライポイント)での、女アルルカンの遠くを見つめている様な眼差しと繊細な手の表現で強く心に残ったのでした。数日後、上掲の私の拙い短歌を画廊に居る画家に電話で伝え、作品の購入を申し入れたのでした。それから約3年間の短い期間ではありましたが、去年12月26日に亡くなられるまで私の様な者の相手をしてくれ、安い居酒屋で飲んだり、二人でカラオケへも何度か(私は音痴で歌は苦手であるが)行くことができたのでした。新たな絵の世界の展開を期していた西村さんの急逝を惜しむ声は多く、私も本当に無念で残念でなりません。
春待ちの女道化師長き指(まんぷく)
49 西村宣造(1943~2012) 「Self-Portrait」
福田豊万(千葉県市川市)
49 西村宣造(1943~2012) 「Self-Portrait」 NO.6 鉛筆・混合技法 紙
18.0×23.0cm 2012年制作
視る為に闇より生れし眼は刃(まんぷく)
この西村宣造の自画像は己の存在の全てを問い直し、新たな絵の道を切り拓こうと意を決して取り組んだ仕事である。70歳を目前にした画家の気魄が見る者の胸に突き刺さる。この絵からも分かる様に、西村さんはとてもいい男なので女性にはずいぶんもてた様で、泣かされた人も数知れずとの噂もちらほら。又、西村さんの話はとても楽しいので男性のファンもたくさんいて、私もその内の一人です。
お酒が入ると話は増々、軽妙洒脱でおもしろく時間の過ぎるのも、つい忘れてしまうのです。そんな西村さんが今までの仕事の総括として自画像を描き、新しい出発をしようと本郷の画廊で個展を行ったのが、2012年9月のことでした。今、思えばこれが最後の個展になったのでした。あんたの自画像など並べても売れないだろうと画廊主は心配した様ですが、作品の出来はとてもすばらしく、DMを見た人達の評判はとても良いものでした。私もさっそく駆けつけて上掲の絵を購入したのです。この絵をみていると闇から浮かび上がった西村さんに、すべて見透されている様で少し恐いのですが、その視線は画家自身にも向けられ、深く自己の真実を抉り出そうとしているかの様です。
ひと泣かせ、人をたらして、虚無を笑う(まんぷく)
50 斎藤輝昭(1942~ ) 「甲冑競馬」
宇都宮義文(千葉県流山市)
50 斎藤輝昭(1942~ ) 「甲冑競馬」 油彩 キャンバス 8F 2012年制作
TVで暫々特集番組として放映される福島県相馬市で行われる国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」の一場面である「甲冑競馬」を題材とした作品である。作家は同市出身で幼年時代より見聞、皮膚感覚の一部となっている行事である。私のように昭和11年生まれの人間でさえ騎馬行進の記憶は殆どないのであるから大半の方にはお解り頂け無いかもしれないがスマートな近代競馬とは全く異なりまさに「戦士」の敵陣突入シーンの再現であって私の様な単なる見物人でさえ「血が沸騰」するのである。旗指物の風を切る音、甲冑の音、馬の血走った目と泡を噛む口元、馬体を鞭打つ音、地響きを立てて疾走する人馬!。
やっぱり一度現地でご覧頂かねばならぬ。作家は東日本大震災の復興の一助たるチャリティを企図し作画、個展を開催した。本来は抽象画家なのである。
甲冑競馬に続き花火で打ち上げた神旗の争奪戦(敵将の首に見立てた神旗)を以てメインの行事が終了し「全軍」が会場から静かに去ってゆく時、会場に流れる民謡「新相馬節」が心に染みるのである。但し、その一節に“ほろり涙で風呂たく嫁御ョ、けむい許りじゃないらしい”とのくだりがあるので私は、反省することしきりなのであるが時既にオソシである。私事許りで恐縮だが東日本大震災では倅の嫁の実家は津波で全壊。但し全員奇跡的に生命は無事で健気に復興に取り組んでいる。