51 坪田純哉(1974~ )  「漂泊」



小山 美枝(東京都西多摩郡瑞穂町)

51 坪田純哉(1974~ )  「漂泊」   岩彩  和紙    F0号    2012年制作  

流れている。
空気なのか、水なのか、光なのか、時代なのか?

画家自身が流されることなく、しっかりと進んでいくことを望んでいる。

52 池田満寿夫(1934~1977)  「顔B」  



金井徳重(長野県中野市)

52 池田満寿夫(1934~1977)  「顔B」  ドライポイント  紙  30.0×22.3cm  1978年制作

 作品「顔B」は、1978年に池田満寿夫が集中して顔シリーズを制作。(A)~(F)の6点を完成させたが、7点目のFaceは試し刷りのみに終わり作品にはならなかった。
 この「顔B」は、夫人であるリラン・ジーの顔である。彼女は、父親が中国系、母親がドイツ系のアメリカ人で、歴としたニューヨークっ子である。
 この作品をよくみると、女の表情が固く、中性的で、無表情に感じられ、謎めいた顔に惹き付けられる。
 夫人である詩人の富岡多恵子時代の池田満寿夫の作品「タエコの朝食、化粧する女、楽園に死す、ロマンチックな風景、受胎告知、私の詩人、私の猫、聖なる手、虹をのむ女---」から距離をおきはじめ、タエコからリランへと作風が変わる。当時池田満寿夫自身が語っているが、「アングル、デューラー、フェルメール等への接近をはかって制作を進めている----」と。
 リランと池田は、この頃ニューヨークのイースト・ハンプトンのアトリエで二人そろって制作に没頭。リランは半抽象風の油彩画を描き、池田はスフィンクスの肖像シリーズ、七つの大罪シリーズ、ヴィーナスシリーズ、そしてこの女の肖像画シリーズ制作へと邁進。そして1977年第77回芥川賞受賞という快挙を遂げたのである。この二年後リラン・ジーと離別し、13年間住んだアメリカを引き揚げ帰国。1980年佐藤陽子との結婚を宣言する。その後の作品も大きく変貌していく。
 

53 岡澤喜美雄(1932~ )  「ピカソは、その時」”ゲルニカによる“ 



金井徳重(長野県中野市)

53 岡澤喜美雄(1932~ )  「ピカソは、その時」”ゲルニカによる“  コラージュ・アクリル  
紙  45.0×54.0cm 2013年制作

 ここに揚げた作品「ピカソは、その時」”ゲルニカによる“は、ご存知のようにパロディである。
 この3月30日~4月7日まで、長野市のギャラリーE・Nで「“舞台”(ステージ)に想いを寄せる」というタイトルで、岡澤喜美雄展が開催された。その折り所望した作品である。
この外にルソー・デュシャン・ベラスケス・ゴッホ・ピカソ・等数点の作品が並び、なかなか見ることのない含蓄のある展覧会であった。
 作家・岡澤喜美雄によれば、「世によく知られた作品で、自分がその作家を尊敬し、称賛する絵画作品を模し、内容を変えて滑稽化・風刺化した作品で、壁面を飾った」と述べている。
 岡澤喜美雄は、池田満寿夫と高校時代の同級生で、美術班に属し、住まいも近所ということから毎日二人で絵を描いていたという。東京芸大も池田と共に受験したが失敗。池田はその後も東京芸大を3度受験したが、岡澤は武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)へ入学。
 学生時代、東京での生活は池田と下宿も一緒で、銀座四丁目、京橋、上野公園をいつも一緒にアルバイトの似顔絵描きをし、切磋琢磨し合う友人関係であった。
 郷里に戻っても親交が続く。
 長野市に「岡澤絵画研究所」を創設、1997年まで主宰した。画家として一貫性のあるエロティズムを追及。個展を中心に発表を
続け、今年81歳(池田満寿夫より2歳上)、制作意欲も旺盛で後進の指導に当たっている。

54 荒井雅美(1979~ ) 「 f 」




鈴木正道(千葉県柏市)

54 荒井雅美(1979~ ) 「 f 」 木版画  紙(和紙)  60.0×36.0cm 2010年制作

 「f」の制作動機などについて作家に問い合わせたところ、こんな手紙をいただいた。
「版画「f」は彫刻「F像」の制作中につくりました。一つのモデルを彫刻と版画にする場合が多いのですが、この「f」もその一つになります。この「f」のモデルは友人です。その個性に着想を得て、その魅力を抽出したいと思いました」
 簡にして要を得た文章である。私のコメントなど、必要ない。
 首はろくろ首の如く、長く伸びてはいるものの、パッチリと見開いた眼、高い鼻、やや肉厚の唇からは、聡明にして豊満な肉づきの美女を連想する。そして二重あごがいい。この画から、fさんは強烈な個性と、強い意志力を持つインテリ女性であることを読み取ることが出来よう。
 私が荒井雅美さんを知ったのは、2005年の師走であった。師匠トーナス・カボチャラダムス氏から、彼女の個展の案内が届いた。さっそく銀座Nギャラリーに出向いた。
 かの門司港では、カボチャの縫いぐるみと笛の演奏で有名なトーナス先生の元バカ弟子の荒井さん、さぞ派手なカボチャの帽子をかぶり、チューバでも担いでのご登場かと、私は期待した。だが、彼女は理知的で、物静かな女性であった。