粋狂老人のアートコラム
          掌(たなごころ)の美に細やかな焦点を・・・・根付
         来日した外国人の目に留まり、流出した工芸品・・・

 
 私の生家は江戸時代から続く地方の古い家であったため、子供時分にも古い我楽多類が残っていた。例えば、仏壇の抽斗の中には、天保通宝などの古銭や傷ついた印籠などが入っていたことを記憶の欠片の中に蘇ってくる。それらを勝手に持ち出し、近所の悪ガキどもの格好の遊び道具にしていた。当時の私たち子供には名前もわからなかったが、印籠には紐の端に小さな人形のようなものが付いていたことだけは記憶にある。それでも印籠と人形(根付)の紐をベルトに通して下げ「ちゃんばらごっこ」をしていたようだ。勿論、それらの価値をわかるはずもなく、雑に扱うため印籠の紐が切れてバラバラになり、いつの間にか行方不明になったことを後年父から知らされた。

 成人し実家を離れ、お盆休みで帰省した際、家族団欒のなかで、子供時分の話しになり、父から印籠のことも聞かされた。その時初めて、遊び道具に使った我楽多が今では価値のある品であったことがわかった。さらに人形と思ったのは根付であることも初めて知ることとなった。当然ながら、その当時の印籠も根付も実家には見当たらないとのことであった。今頃になって、物の価値を知り、心が痛む苦い思い出を背負うこととなった。

 ところで、「根付」とは何なのか、私を含め一般人にはあまり馴染みのない存在であろう。因みに国語辞典によると、「印籠、たばこ入れなどを腰帯から下げるとき、落ちないように、それらのひもの端に付ける細工物」とある。この説明を見る限り、教えられたわけではないが、子供時代に遊び道具に使った印籠と人形(根付)の使い方は、正解であったことに「子供の知恵は凄い」と驚くばかりである。

 資料などによると、江戸幕府の崩壊から明治政府の世になり、欧米文化の流入とともに印籠は表舞台から姿を消し、それに伴って根付も忘れ去られていくことになったと考えられる。一方、幕末から明治にかけて来日した外国人には、浮世絵に注目したと同様に、手のひらサイズの工芸品に大きな驚きを以って関心が集まったことは想像に難くない。何と言っても、材質が象牙、鯨、海驢、檜、黄楊、櫻、黒柿、一位、楠、黒檀、椿、陶磁、金属、角、石、琥珀、竹、ガラスなど多種にわたり、その上技術も高く、価格が廉価で小さいため持ち運びが楽であることが人気に火を付けたようだ。勿論、主題も人物、動物、植物、器物、仮面など幅広く、根付師たちの遊び心や技を極めた作品に如実に表れている。その事実を裏付けるように、世界には根付の有名コレクターが存在し、優品の多くは海外に流出したと言われている。近年でも海外のオークションでは高価で取引されている実態がある。日本の工芸品が海外で評価されることは誇らしい反面、日本の文化として残したい根付が、国内に少ない現実に忸怩たるものがある。

 調べてみると、その様な状況下にあっても、郷コレクションが国内に存在していたことがわかった。郷コレクションは、郷誠之助(1865~1942)が収集したコレクションで、その後、郷の遺志に基づき、昭和17年11月20日に帝室博物館(現東京国立博物館)に寄贈されたものである。その総数は303点とあり、内根付は272点とある。郷の凄さは、「根付蒐集に対する見識、その保存、そして工芸研究の資となさんとした処置まで、すべて完璧といえるものであり、世界的コレクションといわれる所以である。」と紹介されている。郷コレクションが存在しなかったらと思うとぞっとする気持ちになる。他にも現代根付の主要な作品が、高円宮家から寄贈され、東京国立博物館に常設展示されているようだ。私も以前に見ており、そのデザインの斬新さと技量の高さに目を奪われた記憶がある。

 私も一時骨董蒐集のまね事をした時期がある。その時に買い求めた根付やその後、骨董市などで買い求めたものを含め多少手元に残っている。根付の良いところは、何と言っても保管に場所を取らないことである。そのため断捨離からも逃れたようだ。これから紹介するのは、自慢するほどのものではないが、これから蒐集を始めようとする人の参考になれば良いとの考えから思い付いたことである。
          
              親子蛙  光信作
 
 親子蛙(銘:光信)・・・・形態は親蛙の背中に子蛙が横から登ろうとした一瞬を根付師は表現したものと思われる。蛙は親子ともに、目を見開き、口を真一文字に結んでいる姿が愛らしい印象を与える。材質は固く、見た目も象牙とは違うようである。若しかしたら何かの角の可能性も考えられる。
作者の「光信」について詳細は不明であるが、レイモンド・ブッシエル著「根付」や「根付讃歌(稲垣規一著)にも作品が掲載されており、それなりの作者であったのであろう。一方、根付師は江戸時代における職業の評価が低かったと思われ、ごく一部の根付師以外は略歴がわからない実態である。

        
               蛙   玉山作
 
 蛙(銘:玉山)・・・・顔を上向きにした親蛙の作品である。材質は楠かもしれないが判断が難しい。第一印象は大きな目が印象的である。全体的に古色が付いたのか、制作時に色を塗ったのか不明である。それでも、小さな擦り傷を見ると檜のように見えるが、手元に類似品がないので決め手がない状況である。「玉山」の作品は、「日本の美術8 NO.195 印籠と根付」にも掲載されており、郷コレクションにも含まれていることがわり、自分の眼に自信を深めた記憶がある。

         
            四匹のネズミ  友一作

 四匹のネズミ(銘:友一)・・・・四匹のネズミが交互に密着している構図である。材料は黒檀と思われ、手に持つと材質の固さが伝わってくる。一瞬、黒い塊のように思えたが、仔細に観察すると、何か半球の形をした物に四匹のネズミが覆いかぶさっている姿を彫っているようだ。ネズミは左下の一匹が右向き、その上の一匹が左側を向き、更にその上の一匹が右向き、最後に奥の一匹が左向きとしていることがわかった。しかしながら、ネズミの動作が何を意味しているのか私にはわかっていない。それでもネズミの動きを写実的に彫り上げていることだけは私にも分かる。「友一」の作品は、「根付讃歌(稲垣規一著)」や「根付(レイモンド・ブッシェル著)」にも掲載され、評価が高いことが理解できる。

        
             梅に鶯   光一作

 梅に鶯(銘:光一)・・・・鶯が梅の枝で捕まえた虫を今まさに食べようとしている場面と思われる。枝の側面には一輪の花が確認でき、花の形から一目で梅とわかるなど作者の遊び心が自然に伝わってくる。梅の花とくれば、昔からよい取り合わせの例えとして「梅に鶯」がことわざに使われている。作者の粋な心使いが小さな細工物に見て取れる。材質は象牙でないことは確かであるが、材質が何なのか皆目見当がつかない。光一の作品は「根付讃歌(稲垣規一著)」でも取り上げており、実力のある根付師であったことは確かなようだ。私のとって大事にしたい逸品である。

        
              蛙の行水  正一作            

 蛙の行水(銘:正一)・・・・水を張った盥(?)に一匹の蛙がつかり、二匹の親子と思える蛙が行水の機会をうかがっている場面であろう。私にはこの根付と出会った時、少し大袈裟かもしれないが、一瞬、鳥羽僧正覚猷(伝承とされている)の<鳥獣戯画>に描かれている蛙たちを思いだした。作者は蛙の動きをじっくり観察したことが、三匹の動作の表現からも推測できそうである。蛙たちの彫は三匹ともに緻密で、目はガラス玉を入れるという凝りようである。時代的には、江戸というよりも明治の作品と考えたほうがよいのかもしれない。
             
           
             猩猩  松玉作        

 猩猩(松玉作)・・・・酒に酔って本性を現し、顔が変わった場面であろうか。作者は顔が回転して表の優しい女性の顔から、一転して裏の恐ろしい顔に変えられるように工夫したようだ。この種の根付は他に例を見ないので、大変珍しいのではないかと思っている。材質は象牙と思われ、作行きも丁寧であるが、作品の状態や入手した40年以上前のことを考慮すると、恐らく昭和の作品ではないかと推測している。残念ながら手元の資料では、「松玉」という作者は見つからず、今のところ作者不詳状態である。作者が誰であれ、一目で気に入り買い求めた作品であり、私にとって大事にしたい逸品に変わりはない。        

 この程度の所蔵品紹介で参考になったかどうか不安も残るが、老人の素直な気持ちに免じてお許しを願うことにしよう。

<参考資料>
日本の美術8 NO.195 印籠と根付   根付(レイモンド・ブッシェル著)
日本の根付(佐々木忠次郎著)  根付讃歌(稲垣規一著)
根つけと私 江戸の粋(会田雄次 南條範夫ほか)
骨董を楽しむ 印籠と根付(平凡社刊)   
古美術 緑青NO.20 岩見根付(マリア書房)