粋狂老人のアートコラム
          「スルバラン模写 静物」との出合のこと・・・・・和田義彦
          元代々木のアトリエで作品を選んだことなど思いだされる・・・

 
 今から記憶を辿ると和田義彦氏との出会いは、月刊美術が1985年8月号で企画した「画廊の推すこの1点(夏期誌上アート・エキスポ108店)であった。この企画は108の画廊が1店につき1点の日本画、油彩、水彩、パステル、素描、リトグラフ、ブロンズなどを誌上で頒布する内容であった。その中に和田義彦作≪ローマのカフェ(カフェ・グレコにて)」を目にして欲しくなり購入を申し込んだ覚えがある。勿論、私にとって、作品は高額であったため散々悩んだ揚げ句に購入したことを昨日のように思いだされる。画廊推薦のひと言には「和田義彦氏の所属する国画会展をはじめ、明日への具象展、具象現代展、日本青年画家展などを舞台に発表して活躍中の作家です。58年、59年の個展では新聞社、美術評論家の人達に、かって日本にみられなかったようなスケールのかたちをみせるであろう、また理想とする画家像との批評を頂きました。色彩感覚のすばらしさ堅固な画面、魅力ある表現内容を展開している作家です。」と紹介されており、当時、私自身は絵画の収集を始める前のことで、多少参考にした記憶がある。

 縁とは不思議なもので、1993年9月中旬頃和田義彦氏から突然、自宅に電話がかかってきた。電話口で“和田です”と名乗られたが、最初は誰なのか全く見当がつかなかった。自己紹介を聞くうちに画家の和田義彦氏とわかった。それでもどうして我が家の連絡先を知ったのか半信半疑状態であった。和田氏の話しを聞くうちに、私が以前に月刊美術に投稿した際、和田氏の≪ローマのカフェにて≫を取り上げていたことが関係していることもわかった。要するに月刊美術の担当者が、日動画廊で個展開催中の和田氏に、気を利かして当時の原稿コピーと連絡先を情報提供したことが発端であった。要件は日動画廊で個展開催中なので、時間が取れるようであれば、お出かけ下さいとのことであった。メモによると、私は土曜日の午後に出掛け和田氏に会っていた。和田氏は次々と客と話しをしていて、なかなか挨拶する順番が回って来そうもないので、展示作品を観て回りながら30分ほど待ったと思う。会場内内でしばらく時間を潰した頃、ようやく和田氏から声がかかった。挨拶もソコソコに別室(商談室?)に案内された。会場内では落ち着いて話もできないのでとの配慮されたようだ。
 
 和田氏と展示品のことや私の蒐集のことなどの話題で、あっという間に時間が過ぎてしまい、別れ際に和田氏から元代々木のアトリエへのお誘いを受けた。

 それから半年ほど過ぎたころ元代々木のアトリエを訪問している。記憶が定かでないが、当時奥様を亡くされていて一人暮らしとのことであった。私は画家のアトリエ訪問は初めてなので、物珍しさが先行し部屋の間取から飾ってある作品まで、見る物聞くもの興味津々であった。そうこうするうち「立ち話は落ち着かないから」と椅子をすすめられた。和田氏の話は欧州への留学のことから名古屋芸術大学の教え子のこと、更には森村誠一氏(小説家)との関係などに及んだ。おそらく2時間以上はアトリエで過ごしたと思う。私がそろそろ辞去しようかと思ったとき、和田氏から欲しい作品があったらと声がかかり、その場で五,六点の作品を見せてくれた。私はその中から静物画と森村誠一の小説本の表紙絵原画(水彩)を選び、最終的に静物画を買うことにした。和田氏によると、作品の売却代金は教え子の欧州遊学の旅費の一部を支援するとのことであった。それから近くの蕎麦屋に場所を変え、アルコールの勢いも加わり絵の話題でかなり盛り上がったことを覚えている。

       
         スルバラン模写 静物  36.0×45.0㎝
 
 この辺で肝心の絵の話しに戻そう。私は一目で落ち着いたトーンの画面と静謐な感じを与える作品を気に入ってしまった。和田氏によると、1975年にスペインプラド美術館で研究模写を行った際に描いたもので、かなり思い入れがあるような口ぶりであった。模写した作品は、ベラスケス、ルーベンス、リベラなどの作品も含まれるとのことであった。
 因みに構図をみると、最初に気付くのは、画面左よりの枝付き柘榴と盛られた金属の器(錫か真鍮製?)である。ほぼ同時に右隣の筒状の器にも視線が向かうことがわかる。更に画面を注視すると、近づかないと見逃すほど自己主張を抑えた食卓は、画面に溶け込んでいるようだ。それは背景の落ち着いたトーンの色彩とも調和し、観る者を心静かにさせる働きがあるのではないだろうか。さすがにスルバランは時代を経ても、世に名を残す実力者だけに、構図もさることながら画力も並外れていたようである。私はスルバランの<静物>を観ていないので、正確なことは言えないが、それでも和田氏の模写も、スルバランの<静物>に酷似しているのではないかと信じている。私がそう感じるのは、光線を受けた対象物や周辺に巧みな陰影を表現していることからも言えそうである。所謂、鑑賞者が見逃しやすい箇所にこそ神経を使っていると考えるのは私だけであろうか。そう確信する根拠は他にもある。私は以前に個展で目にしたリベラやルーベンスの模写の迫真の描写に釘付けになった記憶があるからかもしれない。しばらく我が家では表舞台に出ることなく、書庫に眠っていたのでこの機会に絵の掛け替えをすることにした。

 和田氏の略歴もはずせないので、少し長くなるが紹介することにした。資料によると、和田氏は「1940年三重県生まれ。59年愛知県立旭丘高等学校卒業。65年東京藝術大学大学院油画科修了。研究副手。国画会展初入選。66年国展で野島賞受賞。67年国展でプールブ賞受賞。70年国展会員となる。72年現代日本新人作家展出品(73年)。イタリア政府給付留学生として渡欧。ローマ美術学校入学、ジェンティリーニ教授に師事。デッサンコンクール1席。73年ローマ国立中央修復学校に編入、バルディ教授に師事。修復技術及び古典技法を学ぶ。75年ソーラ美術展出品(イタリア)。スぺインプラド美術館にて研究模写を行う。76年イタリアにて研究模写を行う。77年イタリアより帰国。79年明日への具象展出品(81、82年)。82年三重県立美術館にて開館記念展に招待出品。83年日本橋高島屋で初個展開催。90年日動展、紅霜展、太陽展など日動画廊に出品、以後毎年。92年名古屋日動画廊で個展開催。93年パリ国立美術大学、キャロン教室に招待される。日動画廊で個展開催。グラディーバ画廊(ローマ)にて三人展開催。98年日動画廊本展、名古屋日動画廊にて個展開催。2000年両洋の眼―21世紀の絵画展に出品。01年和田義彦展―新作と森村誠一著作のための原画展(日動画廊本展)。02年両洋の眼―21世紀の絵画展に出品。第25回安田火災東郷青児美術館大賞受賞。名古屋芸術大学教授を退官。第25回安田火災東郷青児美術館大賞受賞記念 和田義彦展開催。03年両洋の眼―新美術主義の画家たち展に出品。04年両洋の眼―新美術主義の画家たち展に出品。05年両洋の眼―新美術主義の画家たち展で≪天空≫が河北倫明賞受賞。秋山庄太郎・画家・一期一会展に出品。和田義彦展開催(三重県立美術館)。06年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。その後発覚した盗作事件で、芸術選奨文部科学大臣賞、東郷青児美術館大賞などが取り消され、国画会も退会すこととなった。16年没、享年76歳。」とある。これらの略歴を見ると順風漫歩であったが、最後に思わぬ落とし穴が待っていたことを知ることとなった。和田氏の盗作問題は事実として受け止めているが、少なくとも手元の<静物(模写)>は盗作とは無関係であり、精力的に模写に取り組んでいた時期の作品であることに変わりはないと考えている。
<参考資料>
和田義彦展図録(1998年)  和田義彦展図録(1993年)
和田義彦展図録(2005年) 月刊美術1985年8月号