粋狂老人のアートコラム
ここにもパリに憧れ渡仏した画家がいた・・・・・・勝間田武夫
東美を卒業し、パリでの遊学経験あるも没年不詳とは・・・・
今から10年ほど前に絵の裏面に、「巴里郊外 1931年 藤間田武夫」と読めそうな毛筆で書かれた油彩画を見つけた。絵はボードに描かれた風景画で、目にした瞬間、力強さが伝わってくる画力に心惹かれた記憶が残っている。その店は散歩の途中で初めて入ったので、何を取り扱っているか分からなかった。店に入ると新旧の絵画作品を取り扱っているようで、額装された作品は作者名も書いてあり、価格も数十万程度の絵が多かった。古い作品を蒐集する私には縁がないかと思いつつ、念のため店内を見渡してみた。すると店の隅に裸状態で、4点程無造作に重ねてある作品が目に付いた。私は他の展示品には目もくれずに、急ぎ重ねてある絵の場所に歩み寄った。いつものことであるが、掘出しができるかもしれない期待感が湧いてきて、言葉に表現し難い瞬間である。店主に断わり、裸の絵を手に取ると、一枚目は静物画で期待外れ、二枚目も同じレベルの風景画であった。私は気持ちを切り替え、三枚目を手に取るとキャンバスボードに描かれた風景画で、先の二枚とは違う何かを感じた。私はとりあえず、この作品を脇に置き、残りの絵を取り上げ確認したが、残念ながら私の期待に応えるような出来栄えではなかった。
私は脇に置いた風景画を手に取り、じっくり観ると、作品からは最初に目にした時に感じなかった、魅力が伝わってきた。しかも一目で樹木の表現や緑の諧調の見事さから、間違いなくプロの画家の作品であると確信した。絵の裏には、「巴里郊外 1931年 藤間田信夫」とあり、その場では記憶にある画家は思いだせなかったが、いずれ調べれば作者を特定できるはずとの考えから買い求めた記憶がある。店主も誰の作品かもわからないためか、早く処分したい意向で、廉価で分けてくれた。
当初、作者特定は簡単にできると考えていたが、いざ調査を始めると、中々難しく本丸に辿り着かない日々が続き、日数だけが過ぎて行った。そこで、「藤間田」と判読した「姓」自体が間違っているのではとふと気が付いた。あらためて絵の裏に書かれた文字を確認すると、「勝間田」とも読めることに気付いた。
私は急ぎ手元の資料を調べると、遂に「勝間田信夫」に辿り着いた。いつも感じるのだが、この瞬間があるからこそ作者到底作業は止められないのであると思っている。因みに、草書体の判読を不得手の私が、作者特定を急ぐあまり「勝」を「藤」と早とちりで読み間違えたことが、作業を手古摺らせた原因であった。
巴里郊外 1931 初夏 32.3×41.0㎝
この辺で作品に話題を戻すと、第一印象は画面から感じる力強さである。それは何と言っても、やや左よりの一本の太めの立ち木と右側に続く五本ほどの立ち木が見る者に力強い印象を与えているようだ。写生地は川に沿った遊歩道とも思え、川岸や木立の周辺は雑草で覆われていることが見て取れる。この絵のもう一つのポイントは、川が左下部から中央に向かいながら左上方向に蛇行した構図を採用したことにあると考えている。蛇行した川の奥には橋も描き、その手前の川面には雲も映っているなど大胆な描写だけでなく、さりげなく細部にもこだわる表現をしている点が心憎い。作品が暗くなるのを避けるためか、画面全体を緑で覆うことなく、中央上部に逆三角形の空を配置したことでバランスを保っているようだ。うっかり見落とすところであったが、川の左側下部周辺には二艘の小舟が係留され、水深もそれなりのあると思われる。一寸残念なのは、フランスへの渡航歴がないので、巴里郊外の樹木の種類がわからないことである。因みに、私は勝間田の数少ない滞欧作と考えており、戦前のパリ郊外の雰囲気を味わいつつ楽しむつもりである。
ここで勝間田の略歴を紹介することにしよう。私の調査によると、「1895年静岡県生まれ。1918年東京美術学校図画師範科卒業。24年この頃、大阪市西区南堀江上通4-15間崎方に居住。25年第2回大阪市美術協会展に出品。26年個展(於:大阪心斎橋丹平ハウス)。27年~32年渡仏。29年巴里日本美術協会に参加。29年第10回帝展に≪室内」初入選。以後、11、14~15回展に出品。30年第7回槐樹社展に滞欧作出品。34年大礼記念京都市美術館美術展出品。36年「里南会(巴里を懐かしむ連中によって結成。同人は能勢亀太郎、大橋了介、鈴木良三、小林和作、田村憲、和田清)。この頃、東京府北多摩郡砧村成城北58に居住。36年昭和11年文展に無鑑査出品。38年第2回新文展に無鑑査出品、以後3~4回展に出品。40年個展(於:銀座・青樹社)。41年第5回一水会展に≪庭先>出品、以後6~7回展に出品。この頃、東京都世田谷区成城587に居住。44年戦時特別展に≪渓流>無鑑査出品。没年不詳。」とある。
余談であるが、その後の調査で、京橋のアーティゾン美術館コレクションに勝間田の描いたルノワール≪横たわる水浴の女たち>の模写があることがわかった。私はてっきり埋もれた画家とばかり思っていたが、アーティゾン美術館が模写作品とは言え、勝間田の作品を所蔵していたとは驚きであった。そこで私の直ぐに気になる病がうごめき、作品入手の経緯を知りたくなった。若しかしたらコレクターかご遺族からの寄贈なのだろうか。いずれにしても勝間田の作品を所蔵する者にとって嬉しい情報であることに変わりはない。勿論、機会があれば現物を鑑賞したいと思っている。
<参考資料>
日展史 昭和18年版 日本美術年鑑