田村和司さんのよもやま絵話-------“美”とは?
                第10回・「熊谷登久平・漁村」

 
そろそろ今年の松葉ガニ漁も終わりが近づいてきた。
蟹を食べに行く途中、冬の山陰海岸を見るのがいつも楽しみである。
寒風は強く、荒れる海の小さな入り江の漁港に軒を並べて建つ家々。
荒れる海に対峙しているように見える。
この風景を見る度にいつも黙って立ち止まってしまう。
人の気配はないのになぜか人々の営みが迫ってくるような感じがする。不思議な感じ。
       

画像は熊谷登久平が漁村の家々と海を描いたものである。

山陰海岸の風景ではないかもしれない。
恐らく彼の故郷、東北のリアス式海岸で見た風景であろう。
それはどちらでも良い。私にとっては山陰の小さな漁村を思い出させてくれる絵だ。
画家が風景を前にして感動し、その中に入り込んで写し取った風景に見える。
余計な雑念はない。

20年程前、ご遺族宅で遺作展のパンフを頂いたが、それに掲載されていた絵である。
作風からすると晩年の絵だと思うが、彼が若い頃、長谷川利行と一緒に描いたであろう作品には心惹かれるが、晩年の絵にはそれまであまり興味がわかなかった。しかしこの絵は違っていた。
パンフを見た途端、絵に引き込まれる感覚に襲われた。

「この絵を欲しい。」と思ったが、ご遺族の手元にはなく諦めざるを得なかった。
それから10数年が過ぎたころ、ネットでこの絵を見つけた。
欲すれば叶う。そう思った。

稚拙に見え、素朴で率直で荒い、このような美もある。
歌人であり詩的センスを併せ持った熊谷登久平。直截に画面に取り組む。彼は「長靴でぬかるみに足を踏み入れるような絵を描きたい。」と随筆に書いている。
彼が求める“美”を端的に表した言葉だと思う。

最近、チマチマとまとめようとする絵が多すぎる。
彼はそうしないことで一つの美を提示しているように私には思える。